初めて天理教を知った人へ

どう生きるべきか、分からなかったのです。

自分なりに一生懸命に頑張っていたら、首の皮膚がただれていきました。原因は全く分かりませんでした。

自分の尊厳に関わることを隠していたら、愛する人とは離れ離れになりたくさんの人に罵倒される結果になりました。自分としては悪い事だとは思っていなかったのですが。

 

一生懸命、頑張っていました。ただ、何かしら苦しみを抱えていました。幸せになるためにはどう生きるべきか、分かっていなかったのです…。

 

信仰を始める前の私は、上のようなあり様でした。苦しみの病にもなり、悲しみの事情も起こってきて「人生とはこんなものだ」と諦めをもって納得しようとする。

 

でも、わびしい。

 

人に信頼してもらい、互いにたすけ合いながら幸せな人生を送りたい。けれども、どう生きるべきか分からない。

 

これを読んでいるあなたも、当時の私に何か共通するところがあるのかもしれません。その様なあなたに、私が信仰する天理教として神様が教えてくれたことを、ぜひお伝えしたい。

 

私たちの今の状況は、自分が魂に積んできた種が返ってくるように現れてきたものなのです。「自分さえ良いなら、それで良い」、そんな自分のことしか考えないでできる心のほこりが魂に積もっていき、何回もの生まれかわりを通して焦げ付いて心の癖や性分となります。

運命は、心一つで決まります。心で決めたことが行動を決め、積もり重なり結果として現れてくるからです。ある人は老いても健康そのもの、ある人は若くして胃を病んでいました。ある人は円満な家庭をもち、ある人は冷え切っていがみ合う家庭をもっていました。皆々、それぞれ千人千色の人生となるのは、それぞれ千人千色の心の自由に通った道が鏡のように現れてくるからです。

運命を決めるのは心であり悪い癖性分があれば、鏡のように映し出されて、運命が暗くなっていきます。生まれかわりを含めた長い長い道中で魂に積んできたことが現れてくるのです。

この理合いは、神様がつくってくれました。とても辛い仕組みに思えてしまうけれども、1つ覚えておいてほしいのは、神様は苦しめよう困らせようとは、決して思召されてはないということです。

誰からの強制ではなく自ら進んで、何を魂に積んできたのか悟り、悪い種は切って良い種をまく、魂のたすかりへ進んでほしい。「人をたすけて、我が身たすかる」、その大切さに心の自由を保ったまま自ら悟って、そして実践し、運命を陽気ぐらしへ切り替えてほしい。そう思召されてこのような理合いをつくられました。

神様はすさまじく壮大な親心を1分1秒あますことなく私たちにかけ続けてくださっています。何も意識をしないのに、心臓は動き息ができ、私たちの命は続いています。神様が体を貸して、私たちが心1つに借りて、神様が親心をかけ続けてくださっているからです。この例1つからも感じられる神様の親心、これを味わっていく中に、魂のたすかりへの道が少しずつ明らかになっていきます。

無い人間、無い世界、月様と日様がいるばかりでこの世の初めは何もない泥海のような味気ない寂しいあり様でした。月日親神様が「人というものをつくって、互いに仲睦まじくたすけ合う様をみて、共に楽しみたい。」と思召されて、すさまじいご苦労をかけられながら、惜しみなく隔てなく尽きせぬ親心をかけて下さいながら、人と世界をつくってくれました。普段人がなにも考えないうちにも、身の内には命を保つ働き、世界には火水風のご守護が続き、そしてやっと私たちが存在できます。人が何も知らないままに、実はすさまじく壮大な親心がかけられているのです。

そして天保9年10月26日、裕福な農家の妻であった教祖中山みき様が、この月日親神様の社となり、その後50年に渡って大変なご苦労の中を歩んでくださり、人の魂がたすかっていくためのひな形の道を示してくれました。人が自ら魂に積んできたことを悟り、悪い種は切り、良い種をまいて、人と人とが互いに仲睦まじくたすけあう陽気ぐらしの世界に成っていくために、私たち人間が歩んでいくべき道を示してくださいました。

 

親神様・教祖が歌に残してくれたことがあります。

みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる(みかぐらうた五下り目三ツ)

よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや(みかぐらうた十下り目四ツ)

親神様・教祖の親心に浴して神様をほうきとして運命を左右する心を掃除していく中に、病や事情にまみれわびしい陰気な人生だったところから、人と人とが互いに仲睦まじくたすけ合う心の澄み切った陽気な人生に切り替わる、たすかりへの一歩があります。そしてこの道を歩み続けたら、心が澄み切り、生きながらにして生まれかわり極楽に成っていける陽気ぐらしの人生が待っています。

 

具体的に、どのようにすればこの道を歩むことになるのでしょうか?

幸せになるためには、どう生きていけば良いのでしょうか?

その答えは、教祖が示してくれたひな形の道にあります。

 

私は今、親神様・教祖が伝えてくださった道を歩み始めて6年目の道中にいます。人だすけの中に様々な神様のふしぎを経験しました。逆に全く自分が無力であることを痛感させられる経験もたくさんしました。「もうたすからない」と医師に言われた大病の中から奇跡的に復活をとげた方、逆にそのまま体を天に返した方。絶体絶命と言えるほど危機的な事情をもったところから鮮やかに事情がおさまった方、逆に全く心が晴れず縁を切ってきた方。

ふしぎを見て親神様・教祖の御実在への確信が深まりましたが、ほとんどは笑われそしられ恩をアダで返されるようなことばかり経験しています。この人だすけの大変さの中に教祖の示してくれたひな形の道を見出して、苦労を自らの魂に積んできた悪い種を切るものであると悟り喜びに変え、歩いてきました。

すると気がついたら、ほとんど病にはならなくなりました。病になっても、そして事情が起きてきても魂の成人の糧に変えていけるようになりました。そして、自分の心に、親神様・教祖に親心をかけて頂いている喜びが溢れてくるようになりました。

道を歩むために心に汗をかいて、やっと最近になって「あぁ、お道を歩むことで自分の運命をたすけてもらっているなぁ。」としみじみと、かつ心の底から思うようになりました。

人だすけ、と言っておきながら、やり続けてたすかっていっているのは、私自身でありました。運命を決める心一つの悪い癖性分が取れつつあり、喜びが溢れてきているのですから。

 

私はまだまだ未熟者ですが、さぁ、一緒に勉強していきましょう。体と心に汗をかいて、人をたすけて我が身がたすかるこの道を歩み、目には見えない自らの魂と向き合って、そして親神様・教祖と向き合って、一緒に運命を陽気ぐらしに切り替えていきましょう。

 

迷うことがあれば、いつでも連絡をくださいね。一緒に頑張っていきましょう。

 

 

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