天理教の教祖、「おやさま」についての概要

天理教の教祖は中山みき様、という人物でした。

本日はこの中山みき様についての天理教における教祖の意義や道すがらの概要について書いていきたいと思います。

教祖の意義

呼びかた

天理教の教祖は中山みき様という方でありまして、ない人間ない世界を造ってくださってから1分1秒あますことなくご守護くださっている親神天理王命(おやがみてんりおうのみこと)(以降、親神様)の社となって人の魂がたすかる道を教えてくださいました。

ない人間ない世界を造ってくださった親神様からみれば人間は子供たちでありまして、この親神様の社となった中山みき様は私たち人間からすれば親のような存在ということで、「教祖」と書いて「おやさま」と申し上げています。

教祖のおかげで陽気ぐらしへの道を歩むことができる

「幸せになりたい。」とこの世のほとんどの人が思っているのではないでしょうか?

この記事を読んでいるあなたも、「幸せになりたい。」と思っているのではないでしょうか?

幸せになるとは、簡単なことのように思えて、実はとても難しいものですよね。

 

仕事や家庭のことに忙殺されて、気がついたらイライラしてしまっている。

人を羨んだり憎んでしまったり、心が汚れて陰気に満たされてしまっている。

こうした心の状態が鏡に映すようにして、家庭が冷え切ってしまったり病になってしまったり…。

個人個人の心の汚れが積もり重なり、痛ましい戦争なども世界には絶えません。

幸せになるって、難しいですよね。

 

だからこそ、心の汚れを洗い、清らかで暖かな気持ちを思い出し、そして人をたすけて目には見えない徳を積んでいくということが、とても尊くありがたいことなのです。

簡単に陰気な運命になってしまう我々ですから、心を掃除してそして徳を積むということが、シンプルで小さいように見えても、幸せになるためにはとてつもなく大きく尊くありがたいことなのです。

すさんでいた毎日であったとしても、神様をほうきとして心のほこりを払い、今こうして命を頂いていることに感謝して人をたすけ良い種をまいて、目には見えない徳を積んでいくことに喜びを見出していくことができれば、陽気ぐらしの風がふいてきます。

 

教祖が、私たちの歩みが陽気ぐらしに向かっていくための道を教えてくださいました。

親神様の社となられてから、50年に渡るひながたの道を歩んでくださり、陽気ぐらしに向かう為の天の定規を教えてくださったのです。

迷った時には北極星のように頼りにできる、日々の心の通る道が間違ってはいないか天の定規として思案できる、こうして私たちの運命が陽気ぐらしに切り替わっていくのです。

教祖のおかげで、私たちの歩みが陽気ぐらしに向かっていける、ここに教祖の凄まじく壮大な意義があるのです。

教祖、「おやさま」の概要

以下、教祖についての概要を書いていきます。

生れてから教祖になる直前まで

後に天理教の教祖となられる中山みき様は、寛政10年(西暦1798年)4月18日、大和国山辺郡三昧田(現天理市三昧田町)にお生まれになられました。

親神様がない人間ない世界を造られた際に人類の母親のひながたとして働いてくださった、いざなみのみことの魂のいんねんを持ってお生まれになりました。

幼少期より、近所の子供たちのお世話をよくされたり、聡明で器用な生まれつきの上、何でも熱心に習い覚えて万事堪能であられ、素直で親孝行でいつも喜んで母親の手助けをなされており、人並み優れた天分を持っていると評判だったそうです。

13歳のころ、人類の魂のふるさと「おぢば」があると後に分かる中山家にお嫁ぎになられます。

 

中山家に嫁がれてからも、両親には孝養を尽し、夫の善兵衛様にはよく仕えて一家睦まじく仲良く暮されました。

「かの」という女衆が中山家におり、善兵衛様の寵愛をよいことにたくらみをして、みき様の食事に毒を盛りました。やがて、みき様が激しく苦しんで皆の者が、かのの仕業と特定したところ、みき様は苦しい息の中、

「これは、神や仏が私の腹の中をお掃除下されたのです。」

と許されました。

また、31歳のころには、近所の家で、子供を5人も亡くした上、6人目の男の子も、乳不足で育てられないのを見るに忍びず、親切にも引き取って世話をしていたところ、この子が疱瘡(天然痘)にかかり、懸命の看病にもかかわらず、ついには黒疱瘡となってしまいました。

黒疱瘡になってしまうと、いよいよ命が危なくなるのです。医者はとてもたすからないと匙を投げましたが、

「我が世話中に死なせては、何とも申し訳ない。」

とみき様は思われ、氏神に百日のはだし詣りをし、天に向かって、八百万の神々に

「無理な願いではございますが、預かり子の疱瘡難しいところ、お救けくださいませ。その代わりに、男子1人を残し、娘2人の命を身代わりにさし出し申します。それでも不足でございますれば、願満ちたその上は私の命をも差し上げます。」

と一心込めて祈願されました。

預かり子は快方にむかい、やがて全快されました。

 

月日のやしろとなられる前のみき様も、並みの人間には及ばないほどに広く優しい心を持っていたのです。

 

一家睦まじく暮していた中山家の面々ですが、天保8年(西暦1837年)みき様の長男・秀司様の左足に激痛が襲います。

当時は病があれば寄加地がされており、この秀司様の左足が治ることを願って、寄加地が行われました。一時的に治っては、また痛み、そしてまた寄加地がされる。これを繰り返すこと9回されていました。

そうしたなか、天保9年10月23日、秀司様の左足の痛みに加え、今度はみき様は腰、夫である善兵衛様には眼と、一家の要である3人の身に障りがつきました。

そうして、また平癒を願う寄加地が行われました。すると、寄加地の加地台となっていたみき様の口から、驚くような言葉が出されたのです。

月日(親神様)のやしろに定まる

月日親神様のやしろに定まった時の様子

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろにもらい受けたい。」

天保9年10月23日、このようなお言葉が、加地台になっているみき様の口から周囲の人々に向かって発せられました。

夫・善兵衛様も含めてその場にいた方々にとっては、聞いたこともない神様の想像もしなかった啓示であり、そして中山家の大切な妻としてのみき様を神様に差し上げるということは、到底不可能な相談でした。

この時、親神様がみき様の体に入り、みき様を神の社としてもらい受けたいと、みき様の口を通して一同に向かって仰っていたのです。

一同が相談しても神の社にみき様を差し上げることはできないと結論が出て、重ねて断りを申し上げますが、厳としてみき様の体に入った親神様は引いてはくださりません。

この問答は続き、夜を日についで三日の間、みき様は御幣を手にして端座せられたまま、一度の食事もとらず、少しの休息もされない状態でありました。ある時は静かに座って、ある時は響き渡るような厳かな声で元の神、親神様の思召しをつげられ、手は激しく動き御幣の垂紙は散々に破れていました。

食事もとらず床にも休まず、昼夜の別なく元の神・親神様の思召しを伝えられるみき様の緊張と疲労は度を超え、このままでは一命も気遣われるほどになったので、ついに夫・善兵衛様は、お受けするより他に道はない、と思い定め

「みきを差し上げます。」

とお受けされたのでした。

みき様は、それまでの激しい様子が鎮まり、月日(親神様)のやしろと定まったのです。

天保9年10月26日のことであり、ここに天理教が始まりました。

人間・中山みき様が、教祖(おやさま)として定まった日、世界がたすかる教えが伝えられ始めた日になります。

月日のやしろの意義

ない人間ない世界が造られてから、何億年という単位での長い歴史の中で、「直接、親神様から救かる道を教えていただける」という状況は存在していませんでした。

人々は心自由に造ってもらっており、これは「明るい心で人々がたすけ合ってほしい、その様を見て共に楽しみたい」との思召しで親神様が叶えてくださったものなのです。

しかし、心自由に人々は、我さえ良くばの心を使い、勝手を積み重ね、それが故に心にほこりを積み、個人個人は病や事情に苦しみ、あげくの果てには殺し合いのような状況を作ってしまっています。

ここに、「人は陽気ぐらしのために造られた」という元のいんねんを親神様から直接教えてもらえるということが、人々の運命が切り替わって世界の運命も切り替わっていくほどに、壮大で奇跡のようなありがたい出来事なのです。

真っ暗闇の中に一筋の光を与えてもらえ、その光の方へ向かって踏ん張っていけば私たちの運命が本当に切り替わる、それほどまでにありがたいことを、親神様から直接教えてもらえるということが、どこにいっても他にはない、ただここにしかないほどに貴重な出来事なのです。

 

姿は中山みき様でも、心は親神様として、ここから大変な道を歩んでくださいました。

いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や 十二号 六七

しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている 十二号 六八

(おふでさきより引用)

ひながたの親

姿は中山みき様でも心は親神様として教祖は人々の魂がたすかっていく道を教えてくれたのですが、どのような方法だったかといえば、口に出して教えてくださったのはもちろんのこと、実際に行動をして見せてくださることで、示してくださいました。

月日のやしろと定まってから50年にわたって、人がたすかる道を通って示してくださったのです。

この教祖の通られた50年をお手本として、つまりひながたとして、私たち子供は万分の一でも通らせてもらうことで、陽気ぐらしに近づいていくことができます。

この50年に渡る道すがらを、「ひながたの道」、と呼ばせていただいたり、教祖が担ってくださったこの1つの役割を、「ひながたの親」と呼ばせていただいています。

教祖の通ってくださった道は、人間にはとても真似できないような、大変なものでした。

中山家は農家でありながら名字帯刀が許されるほどの家柄で田地持ち、つまりお金持ちでしたが、人に施しを続け、田地を売り払っても続け、ついには母屋のとりこぼちをし、貧のどん底にまで落ちました。自分たちは貧しいというのに、手に入ったばかりのお米を施してしまうほど、徹底して通られていました。

それでも周りの人々は狐憑きなどと罵る状況でありました。

信者と呼ばれる方はずっとおらず、最初の高弟が教祖のもとに通うようになるまで、月日のやしろと定まってから約27年の歳月が過ぎています。

信者と呼ばれる方々が寄り来るようになっても、近隣の宗教家や医者からの迫害が起きてきたのでした。

信仰者が増えてくると、明治維新のさなか、国家以外に人々が集まってしまうことは不都合と、官憲からの迫害・弾圧が続きました。

教祖は留置・投獄を18回受けたそうであり、当時の留置・投獄を受けた人々への扱いはかなりひどいものであったそうです。

それでも教祖は、出頭命令が出されたとしても、可愛い子供である人間のためにいそいそと出掛けられ「ふしから芽が出る。」と仰られたのでした。

 

どんな中でも子供を想う親神様の親心で通ってくださった教祖は、迫害干渉の中でも人々がたすかるお祈り「おつとめ」を人々に仕込んでくださいました。

教祖が90歳の時、官憲たちの迫害干渉の中でもなんとか高弟たちが「おつとめ」をつとめ終えるや否や、教祖は体を天に返されたのでした。

存命の理

人間は115歳定命、と教えてくださっていたので、教祖は115歳まで体はこの世にいてくださると当時の高弟の先生方は思っていたのでした。

だというのに、教祖は90歳で体を天に返してしまった…。

頼りにしていた教祖が、いなくなってしまった…。

これから私たちはどうしたらよいのだろう?

と人々は悲嘆にくれていました。

そこで、当時、親神様が必要な時に降りることを教祖が許された飯降伊蔵先生に、人々が伺いました。

すると親神様・教祖のお言葉がありました。

さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。

(おさしづ 明治二十年二月十八日)

可愛い子供たちに本当の意味でたすかってほしいから、25年先の命を縮めて、扉を開くように、体という着物を脱ぎ捨てて、魂だけになっても、屋敷にとどまり、時空をこえて私たち人間をたすけてくれる、と親神様・教祖が仰ったと解釈できます。

この御神言を聞き、当時の人々は奮い立ち、親神様・教祖が実現したいと思召されていた陽気ぐらし世界にむかって、人だすけに邁進していくのでした。

 

教祖は、ない人間ない世界を造るさいに母親のひながたとなった、いざなみのみことのいんねんある魂の中山みき様を社として、月日親神様が天下った特別な存在であります。

普通の人間であれば体を天に返せば、魂は親神様の胸元に抱かれて、また生まれかわる時を待ちます。

しかし、教祖は特別なので、体を天に返して現身を隠されて見えなくなっても、魂は元の屋敷に留まり、時空をこえて私たち人間の側にいてくださいます。

つまり、教祖は姿だけ見えないだけで魂だけとなり、ご存命でいて、私たち人間をご守護くださっている、ということです。

これを教祖存命の理、と呼びます。

姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿が無いばかりやで。

(おさしづ 明治二十三年三月十七日)

 

この、存命の理のおかげで私たちは、目に見える結果として報われなかったとしても、目には見えない心や魂や神様の方を向いて、徳を積むことに喜びを見出して、人生を歩いていくことができます。

善く生きようとしても、人をたすけようとしても、心のない人に罵倒されてしまったりひどい扱いを受けてしまうこともあります。

この世に独りぼっちになってしまったと思ってしまうくらい、孤独を感じてしまうようなこともあります。

それでも、いつもそばに、教祖だけはいてくださいます。

目に見える結果を求めるのではなく、たとえ馬鹿にされてしまったとしても、苦労してでも人をたすけたいとの誠の心を、教祖は必ず受け取ってくださいます。

そう思えただけで、大きなパワーをもらえます。

臆することなく、人だすけの道を歩むことができます。

やりつづけていくと、本当に自分の運命が陽気ぐらしに切り替わっていきます。

存命の理、ありがたいのです。

 

 

長くなってきましたので、本日はここまでにします。

それでは次回まで、皆さんお元気で。

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