明らかに問題を抱えてらっしゃるゴミ屋敷に突撃すると
なんだてめぇは!!
と住んでいた70才くらいの男性にひどい剣幕で怒鳴られてしまうことになりました。
なんとか話を聞いていくと、彼が抱えていたことが明らかになってきて…。
本日はここのところを書いていきます。ゴミ屋敷への突撃、いったん完結です。
前編↓
人だすけに歩いていると色々と起きてきますね。 先日、 ゴミが山のようにたまった屋敷に突撃 しました。 そして不思議な出会いを頂けたので、本日からこの件に関して書いていきます。 長くなりそうなので、何編かに分けま[…]
中編↓
人だすけに歩いていてゴミが山のように積もり重なったお宅を見つけたのですが、何度声をかけても反応がなかったので、安否確認のために入ってみることにしました。 ところが、いざ戸に手をかけてみると、恐怖が湧いてきて…。 こんな時、親神様[…]
警察を呼ばれそうになる
おい!俺の家でなにしてやがる!!
と言われてしまいました。そりゃあ、そうです、私は何度も呼びかけをして何十分も待っていたとしても、男性からしたら寝耳に水、知らない男が勝手に家の中に入ってきた恐怖感があるのですから。
こういう時は、ただひたすらに、お詫びにお詫びを重ねていきます。
坂口「何回も呼びかけしたのですが、お返事がなく、ただならぬ雰囲気で心配になり、安否確認のためにまず玄関、そして廊下と上がりました。勝手にあがる形となり、申し訳ありませんでした。」
男性「安否確認つってもよ、俺の友達でさえ家に入ってこねぇんだぞ!!警察呼ぶぞ!!警察!!」
あ、出た、「警察呼ぶぞ」。
実は、人だすけに歩いているとたまに言っていただくことがあるのです。すべて覚悟して歩いておりまして、もし、警察に連行されることになっても致し方なし、という気持ちなのです。むしろ、親神様の社となって50年にわたって人をたすけ続ける道を歩んでくださった教祖は、十数回以上も官憲に連れていかれてしまいまして、ひどい扱いを受けると分かっていながらも「反対するのも可愛い我が子」といそいそと監獄署に向かってくださっていたわけで、自分が人だすけの道中で警察につれていかれたとしても、教祖のひながたをたどることができたなぁ、と魂の成人を喜んでいく覚悟が決まっているのです。
まぁたぶん、人だすけで歩いていること、危害を加える気持ちは全くないこと、相手の心をけがす行いはしていないこと、を分かってもらえれば、警察の方に連れていかれることはないと思いますが。
すべて覚悟の上で男性に話していきました。
坂口「警察の方をお呼びになるのでしたら、どうぞ、お呼びください。あなたからしたら、勝手に入った形に見えて、ずいぶんと恐怖をかきたててしまったかと思います。誠に申し訳ありませんでした。ただ、私は、人だすけで歩いているのです。人たすけたら我が身がたすかるという、魂のたすかりを願って歩いているのです。ただならぬ雰囲気のお宅の中の方、あなたにたすかって頂きたいと思い、このような形になってしまいました。誠に申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げて、彼にお詫び申し上げました。
しかし彼、お詫びをすれどもすれども、怒りがおさまりません。
男性「だからってよう、入ってきちゃだめだろ!!」
男性「俺がたすけてって言ったかよ!!」
男性「おめぇ、どこのもんだよ!?」
あぁ、止まらない…。お詫びしても止まらない…。どないしよ…。もう正直に言って謝っていくしかないな…。もう誠実に、ただ誠実に…。
お詫びタイムが永遠に続く覚悟を決めて坂口、正直に自分についての情報を言っていきました。
坂口「私は、天理教の、坂口と申します。」
次は何と言われるのだろうか…?
男性「あぁ、天理教か…。」
そしてしばしの沈黙。
え、怒らないの…?
おたすけは、時空をこえて
昔、世話になった
すると男性、少しずつ語り出してくださいました。
男性「おめぇ、天理教のもんか…。」
男性「俺は昔、植木屋でよ…。仕事でいった天理教の人がよ、それはそれは良い人でなぁ…。世話になったんだよ。」
男性「おめぇ、天理教のおたすけやってんのか…。じゃあ、警察は呼ばないでおいてやる。」
凄まじい剣幕が、嘘のようにおさまっていきました。
たまたま、私が埼玉の地で人だすけに歩いて、
たまたま、縁を感じておたすけに突撃したお宅で、
たまたま、怒りが止まらない方が中にいて、
たまたま、彼が昔に天理教の人に世話になっていて、
そして、怒りをおさめてくださった。
こんなふしぎなこともあるものなのか…。
彼が抱えていた悲しみ
そして彼は話を続けてくださいました。
男性「おたすけしてんのか。俺はよ、買い物がよ、困ってんだよ。3,4ヶ月に1回、スーパーに行くんだけどよ、50、60kgくらい買うんだよ。タクシーを使うんだけどよ、運転手が嫌がるんだよ…。」
男性「買い物するとき、もしかしたら、あんたに電話するかもしれねぇ…。」
となんだか申し訳なさそうに言うのでした。
え…?
3,4ヶ月に1回の買い物…?!
少なすぎない…?!
1回の買い物で50、60kg…?!
多すぎじゃない…?!
ゴミ屋敷で3,4カ月に1回の買い物で50、60kg…。
ただならぬ、ただならぬぞ…!!!!
と思いましたが、初対面でいきなり立ち入った質問をすると信頼してもらえなくなる可能性が高くなるので、「ぜひぜひ!」とだけ言っておきました。
とりあえず、おたすけで頼ってくれるような方向性になったし彼の状況を知っておくことが大切だ、と思い色々質問していきました。
坂口「体とかは大丈夫ですか?」
男性「体は色々あるよ…。まぁ、ただ、俺の心配は買い物だけだな。」
と体に関しては、はぐらかしてらっしゃいます。
まぁ、自分の体のことは言いたくないこともあるしなぁ、なんて思いながら、色々な質問に世間話を交えて話していました。
そして20分くらいたったとき、また体の事に関して話が及んで彼が教えてくれました。
男性「実はよ、俺は昔に大きな病になって、片脚がな…。」
薄暗い部屋の中で、彼はイスに座り机に向かってラジオを聞いてらっしゃったので、私は彼が抱えた身体的な問題を外見から判断することができていませんでした。
詳しいことは書けませんが、彼が重たい口を開いて、片脚に抱えた問題を教えてくれたのでした。
そのせいで、植木屋の職人を辞めることになってしまい、上手く動くことができなくなり、お宅は物で溢れてしまい、満足に買い物にもいけなくなり、人との交流もなくなり、悲しみを抱えてらっしゃったのだと思います。
今もなお、病の問題を抱えてらっしゃることも教えてくださいました。親神様・教祖からのご守護が滞りなく流れて、健康に幸せに生きていけることを願って、お祈り「おさづけ」をお取次ぎしました。
別れ際で彼は言ってくれました。
男性「ま、本当に頼むかわからんけれど、買い物で運転をお願いするかもしんないわ!」
神様の御守護をいただけるように、信頼関係を築いていくために通っていこうと思います。
名も知らぬ天理教のおたすけ人の種まきが時空をこえて…
「これをやっても意味があるんだろうか…?」と不安になってくることがありますよね。
特に人だすけなんてそうだと思います。
「人のために何かしたところで、自分にとって良い事なんて返ってこないじゃないか…。」、人を思った行いが悲しい結果に繋がる事ばかりになると、そう思ってしまう人がほとんどなのではないかと思います。
でもね、今回の一件は、不安を払拭してくれるものじゃないかな。
今回の70才くらいの男性は、大昔に天理教の人にお世話になって、私との縁を持ってくださった。
当時、男性のことをお世話をした天理教の人は、目に見える形で報われていはいなかった。
でも、一生懸命にお世話をした。
そのおかげで、私の元で少しばかりおたすけの芽が出てきた。
名も知らない天理教の人のおたすけでの種まきが、時空をこえて私の元で咲いてきた。
人だすけの行いは、目に見える形で自分の元で報われなくても、神様が種まきとして受け取って下さり、必ずどこかで咲いてくる
そう思いながら一生懸命にやっていくことで、魂の悪い種が切れ良い種まきがなされ、自分自身がたすかっていく
と、そう思えたんですよ。
「ためし」を越えることの大切さ
私たちの前には、色んな壁がやってきますよね。
幸せになりたい、陽気ぐらしになりたいと、己の魂のたすかりを求めて、人をたすける道を歩むと、苦労ばっかりになります。
ゴミで埋め尽くされたお宅を見つけた。
明らかに何か問題を抱えている、さぁ、どうしよう…?
戸に手をかける。
でも、開けていくのは恐ろしい…。
「人だすけ」と文字では簡単に書けるのに、現場に立ったら難しいことばかりだ…。
この、人だすけに向かう過程で出て来る、難しいこと、苦しいこと、大変なこと、それらはきっと、神様からの「ためし」なんじゃないかと思います。
我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、という一心に取り直す
(天理教教祖伝逸話篇「167 人たすけたら」)
という教祖のお言葉を思い出して、我が身を思うのではなく、「人救けたい!!」と思い直して、エイヤっと難しいことを乗り越えていく中に、ふしぎなご守護を見せてもらえるのではないかと、思うようになりました。
エイヤ!!っとゴミ屋敷の戸を開けて、自分の壁を乗り越えていくと、今回のようなふしぎな出会いを頂けたのですから。
苦しい病に悲しみの事情、大変なことを抱えて谷底で孤独に凍えているような方はたくさんいます。
しかしながら、たすけというものは難しい。本当に難しい。乗り越えていくべきことが多すぎて…。
難しさを乗り越えて歩いていくことができない、一歩を踏み出すことができない…。
だから、草がボーボーになって、たすかりの道が分からなくなってしまっています。
この状況に対する思いを、親神様・教祖は筆に記してくださいました。
だん/\と くさがしこりて みちしれす
はやく ほんみちつける もよふを
(おふでさき第四号七五)
早く魂のたすかりの道をつけてくれ、陽気ぐらしへなってくれ、と仰っています。
そしてこうも記して下さいました。
いまのみち いかなみちでも なけくなよ
さきのほんみち たのしゆんでいよ
(おふでさき第三号三七)
人をたすけ、我が身がたすかっていく道は大変だ。
でも嘆かないでおくれ、必ず結構なたすかりの道がついていくから。
と伝えてくれています。
大変だったとしても、ためしを乗り越えて、人をたすけて歩いていく、その道中は必ず神様に受け取っていただける種まきとなり、自分自身の魂をたすけ、歩いていけば、草がボーボーだったはずのところが、本当のたすかりの道と成っていく。
そう、信じています。
さぁ共々に、ためしを乗り越えて、人をたすけて歩いていこうじゃないですか!!