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不条理な人間関係に悩んだ時、親神様・教祖が言ってくれること

人間関係、ツラっ

って思うこと、ありますよね笑

約束を破られたのに、なぜか自分が責められてしまう…。

明らかに自分の言う事を聞いてくれない人から、的を外れた叱責をくらう…。

反撃する?我慢する?どないしたらええの?

最近色々と大変だったので、書いてみました。

正直、しんどい

一生懸命に人だすけに歩いていると、とんでもなく不条理かつ悲しい出来事があったりします。

悲しい…辛い…。そういう思いは、自分と同じ様に大変な思いをしながらも人だすけに歩いている仲間に打ち明けることで、軽くなっていったりします。苦しみを話すと心が楽になる。

私はまだまだ未熟なので、直近であった悲しい出来事を、仲間にグチっておりました。

こんな大変なことがあってさ~、ぶっちゃけムカついちゃったよ~。なんてね。

 

そしたら突然、尋ねてもいない人からこんな横やりが。

「それはあなたのここが悪いですよね。こうするべきでしたよね。」

 

 

 

 

あぁ、違うんだ…。今は悲しみや苦しみを軽減させたくて、話をしていたんだ…。別に解決策が欲しかったわけじゃないんだ…。なんで苦しい思いをしていたのに、尋ねてもいない人から「あなたのここが悪い」なんて傷口に塩を塗られるようなことをされなくてはならないんだ…。

もう気分は最悪です…。

 

またある時は、状況を正しく把握していない方に怒られてしまったり…。

またある時は、約束を破られているのに一方的に罵られてしまったり…。

 

 

 

正直、しんどいって…。

となっていました。笑

 

不当な扱いを受けてしまった時、私たちはどうするべきなのでしょうか?

怒りに対して反撃する?

いやいや、「目には目を、では世界が盲目になるだけだ。」ってカンジーが言ってた!からやめておこう。

我慢する?

その場は治まるかもしれない。でも、そうたやすく怒りがおさまったら誰も苦労しないぜ…。

 

あぁ、この心のモヤモヤを、どうしたらよいの?

今回の私が負った不条理だけではなくても、世の多くの方が悲しみの不条理を負ってしまっています。新しく家族になった人達から理不尽な扱いを受けてしまったり、ある日突然、重い病になってしまったり…。

実は、こういう切実な悩みが出て来るような壁にぶち当たった時こそ、心の良い種まきの機会を与えて頂けているのだと思っているのです。切実な状況こそ、心が真剣になり、そういう時こそ大きな信仰的な学びを頂けます。

今、湧いてきてしまった苦しみは、うまくやり過ごすことができたとしても、未来のいつかの時点でまた湧いてきてしまったりするんですね。魂に積んできた種が引き起こしているわけだから。

だからこそ、この種を1つでも切っていくことができれば、同じような状況になっても苦しまなくなっていきます。

悲しみを喜びの種まきとして変えていく信仰的な学びの積み重ね、これが神様の後ろ盾をいただいて陽気に生きていくための土台となって、先々の私たちの人生を支えてくれるのです。

 

成ってきたことから神様の思召しを悟り、悲しみも苦しみも先々で結構になるための良い種まきに変えていくことができます、信仰さえあったなら…!!

さぁ今日も、信仰の話をしようじゃないか!!

腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん

不当に扱われてしまうなど、不条理なできごとが起こってきた時、ほとんどの方が腹を立ててしまうのではないでしょうか。

では、「腹を立てる」ということに対して、親神様・教祖はどのように言ってくれているのでしょうか?

 

「不当に扱われるなんて、辛かっただろうに。」なんて自分に寄り添ってくれるような言葉をくださるのかな~なんて思いながら、調べてみました。

「人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。」

ですって。笑

クー、厳しいー。笑

あくまで、不当な扱いをしてくる方のことを責めるのではなく、腹を立てた自らの心を見つめ直すように、指示してくださるんですね。

これ、親神様・教祖のお言葉である「おさしづ」にあったお言葉なんです。

この一部だけではなくて、全文を読んでいくと、親神様・教祖の親心の壮大さと暖かさが味わえるかと思いますので、全文を載せておきます。

 

ちょっと長いけれど、めっちゃ心に響くおさしづだから、ぜひ読んでほしい…。

腹を立てることから逃れられないほど、大変な人生を送る我々が陽気ぐらしに向かっていくために、ぜひ読んでほしい…。

 

明治二十年三月二十二日(陰暦二月二十八日)二時

刻限御話

さあ/\放って置け/\。誰彼を仇と言うのやない。大風々々、大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのようの大きな物でも、倒ける潰れる。大風やで。風は神や。風がかりもの無うては、箱に物を入れて蓋を閉め切りた如く、腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\あるので、半日や一日は送れるで。人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。今までの修理肥で作り上げた米が、百石貰ろたら、百石だけある間は喰て居らるゝ。今度無い世界を始めたる親に凭れて居れば、生涯末代のさづけやで。これは米に諭して一寸話して置く。

すごーくざっくりですが解釈すると

腹が立つようなことがあっても、放っておきなさい。不当な扱いをしてくる人がいたとしても自分の仇と思わないように。人間というものは、不当な扱いを受けてしまうような、目の前の事態に頭がとらわれてしまうけれども、風という神の守護の現れがあって初めて人間たちの命があるように、神の壮大な親心を常に与えられていることを思い出してほしい。人の言う事で腹を立てるのは、心が澄み切ったとは言わない。心が澄み切ったならば、人が何を言っても腹が立たない。その状態になって、心が澄んだと言えるのだ。今までに教えてきたのは、腹が立たないように、何も心のつっかえにならないように、心が澄み切る教えなのだ。修理肥でできた米があれば食べるに困らないように、ない人間ない世界を造ってから一分一秒あますことなく親心をかけ続けている親なる神にもたれていれば、生涯末代のたすかりを授けているのだ。

と読み取れます。

 

腹を立ててしまうと、不条理に頭がとらわれてしまいますが、風があって私たちの命があるように、親神様・教祖は壮大な親心を一分一秒あますことなく与えてくださっているということを思い出せると、不条理にとらわれた心に、フッと清々しい風が吹いてきた時のような、余裕を頂くことができます。

そして親神様・教祖は不当な扱いをしてくる方のことを責めるのではなく、腹を立てた自らの心を見つめ直し心を澄み切らせていくように、指示してくださいます。

今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。

と、腹が立たないように、心を澄み切らせていくことを今まで教えてきたのだ、と伝えてくださいます。

 

そうは言っても、どうやって心を澄み切らせていけばええねん…。どんなことを教えてくれているんや?

ってなっちゃいますよね。

人間関係のことで親神様・教祖の伝えてくださったことを書いていきます。

前生の因縁よせて守護する

家族であったり、職場であったり、私たちはより集って生きていきます。

簡単に切るわけにはいかない関係の中で、自分にとって苦手な方が出て来てしまったとき、大きな苦しみが生まれてしまいます。いじめてくる人がいるのに逃げるに逃げられない、みたいな状況、本当に苦しいですよね…。

簡単に関係を切る事が出来たとしても、自分の心の癖や性分が良い方向へ直らなければ、また同じような問題が出て来てしまいます。

 

親神様・教祖はこの「縁」についてどのようなことを教えてくれたのでしょうか?

教祖の筆を通して教えてくださった親神様のお言葉「おふでさき」を引用します。

せんしよの いんねんよせて しうごする

これハ まつだい しかとをさまる

(おふでさき第一号七四)

 

私たちは、何千回何万回もの生まれかわりを通して魂に種を積んでいます。良い行いをすれば良い種がまかれ、それが良い結果をもたらす、ということ。逆もしかり…。この種は「いんねん」(漢字だと「因縁」)と呼ばれています。

親神様・教祖は私たちの魂に積んできたいんねんを見て、人を寄り集めてくださいます。今生で自分に迷惑をかけてくる人は、実は前生で自分が迷惑をかけていた人、だったりします。悪いいんねんが魂にあるままでは、私たちは、崖から落ちてしまうような大きな苦しみを迎えてしまいます。それではとても可哀そうだから、親神様・教祖が魂の悪いいんねんを切ることができるように、前生までで自分が迷惑をかけてきた様な人を、自分にとって試練を与えてくるような人として、与えてくださっているのです。

すべて、末代までたすかってほしい、という親心がゆえに。

困らせてくる人ほど、自分をたすけてくれる、おたすけ相手

人間関係がこじれて理不尽な出来事が毎日のように続いた時、私は正直、しんどくなりウンザリしました。

しかし、親神様・教祖の「腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。」の全文のおさしづを読んで、はたと気がつきました。

 

私は、不条理な出来事だけを見ていた。

神様は、ない人間ない世界を造ってくださってから、一分一秒あますことなく、壮大な親心を与えてくださっていた。

この親心を味わうことができていなかった…。

自分にとって悲しみをもたらしてくる人は、実は、私の魂に積んできた悪い種を切るために、神様がもたらしてくださった、大切な魂のいんねんある人。

 

私のことを困らせてくるということは、他にもたくさん嫌な思いをしてきた人がいるわけで、その困らせてくる人はこのままでは運命が暗い方向へと流れていってしまう。いわば、自分を困らせてくる人はつまり、苦しんでいる人、おたすけを必要としている人

そう悟れた時に、「私にしてくる不条理もすべて、魂に積んできた苦しみが引き起こしており、この苦しみを晴らせるような方向に、私が少しでも寄与できればなー。」と思え、今までの不条理も次々起こる困ったことへも、腹が立たないようになりました。

 

私のことを困らせてくる人のおかげで、腹を立てるという私の苦しみが、1つ無くなったのです。つまり、私の魂を1つたすけてもらえたのです。

自分のことを困らせてくる人は、神様が魂のたすかりを願って私に与えてくださった人で

目の前の不条理にとらわれないで、困らせてくる人のたすかりを願って心の向きを変えさせてもらうと

自らの魂をたすけてもらえる

と実感できた瞬間でした。

 

人間関係というものはデリケートで難しく、大変な思いをすることがあります。

しかし、縁には神様の「末代までたすかってほしい」という親心が含まれており、その親心を悟っていくことで、苦しかったことが、喜びの種まきに変わっていきます。

自分の心が変わると、状況も変わり、人間関係も好転していきます。

 

大変ですよね。だからこそ、親神様・教祖の親心を悟って、心を澄み切らせて歩んでいきましょう。一緒にね。

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