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土砂降り & 雨具なし & びしょ濡れ & 住まいまで遠方

よっしゃ、よっしゃ、歩いててよかった!

と思わせてもらえるような時があります。

「あなたが必要です。」と言ってもらえるような機会を得た時です。

自分から誘ってないのに、4日前には埼玉教務支庁で、昨日、今日は単独布教の拠点となっている住まいで面会を求めて下さる方々がいました。

さぁたすけ一条に向かって踏ん張るぞ!と思って勇んでいたのもつかの間、

そうは問屋が卸さないんですね。笑

今日も色々起きてきました↓

 

ツンデレ出してくるやんけ

昨日、今日と悲しみを抱えた方が、単独布教の拠点に祀った神棚へ参拝しに訪ねてくることになっていました。

 

掃除して、洗濯物をたたんで、部屋を整理整頓して…。

いらっしゃったら、一緒に天理教のお祈りである「おつとめ」をして、病の平癒を願う「おさづけ」もして…。

そしたらお茶とお茶請けのお菓子もお出しして…。

あー色々やんないとなー。

と思いながら、昨日、戸別訪問に歩いて疲れて帰ってきてから、モソモソと準備を始めだしたのもつかの間、

約束の2時間前に電話がかかってきました。

「もう行っていい?」

いや、あかん!!笑

全然準備できてない!!マイペースすぎるって!!

 

30分、待ってもらって約束の待ち合わせ場所に行ってみると…

 

 

 

 

 

 

 

いない!!待ち合わせ場所にいない!!

電話してみると「TSU○AYAにいるよ~」って。笑

「君も来たら?」って。笑

約束、守ってちょうだいよ…泣

別に来ても良いけど?的なツンデレ出してくるやんけ。

ちなみにこの方は60才くらいの男性です。笑

 

 

そんなこんなで大変な思いをしてやっと、神棚で一緒におつとめをしておさづけもでき、お茶とお菓子をお出しして、1時間ほど色んなお話を聞かせてもらいました。

神様の道具として、人だすけに歩いている身としては、必要として下さる方がいるだけで、本当にありがたいです。

そして、そういう方こそ色んなことがあり、エネルギーをたくさん使います。笑

ドタキャン…

今日もまた、別の方がうちの神棚に向かって参拝をしてくれる約束をしてくれていました。

前日のこともあり、疲れがたまっていましたが、「これもおたすけ」と思いながら心を上向きにしていました。

 

すると、電話が。

「今日約束していたんだけどさ、小雨が降ってきたから、今日はナシでお願いね。別日にしよ。」

 

う~む、雨ばかりは仕方がない。この電話のお方、ご高齢で脚の状態もよろしくないので、無理はいけない。

「あ~雨ばかりは仕方がないですよね。また今度!」

と言って電話を切りました。

 

ただ、残念さは心に湧いてきてしまいます。

準備にかけた労力も、精神力も、時間も全て目に見える形では無駄になってしまうのですから…。

 

外を見ると、雨はそこまで降っておらず目視が難しいほど。天気予報も今日は大雨にはならないと伝えてくれている。

こういう心が晴れない時こそ、人だすけに歩く!

今の空や心が晴れなくても、歩いていけば、必ず心は晴れていく!

そう思って歩いていきました。

びしょ濡れ…

そうして勇んで歩いていると、以前に出会った方と再会することができて「この前はありがとうございました」と言ってもらえたり、新しい出会いがあったり、心が晴れていきました。

 

そうそうこれこれ!歩けば心は晴れる!

と光明が見えてきたと思った時に、

 

土砂降り & 雨具なし

びしょ濡れ & 住まいまで遠方

という最悪なコンボをくらってしまいました。

大雨の中をびしょ濡れになりながら歩いていかざるを得ず、

「月9のドラマでフラれた後の人」みたいな悲壮感を漂わせながら、ただ黙々と帰路についていきました…。

 

 

あーうまくいかねぇ…。

なんて、なんて大変なんだろうか…。

今日はおたすけができると思っていたのに、今はびしょ濡れで何もできず退却しているだけじゃないか…。

なんて、なんてみじめなの…。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、そういう時こそ、信仰は進んでいきます…!!

こんなみじめだからこそ、今日も、信仰の話をしようじゃないか!

寒い時は寒い装束、暑い時は暑い装束、扇使いでは種になるか

土砂降りの雨の中、びしょ濡れになりながら、みじめな思いで帰路についている時に

「寒い時は寒い装束、暑い時は暑い装束、扇使いでは種になるか」というおさしづ(親神様・教祖のお言葉)を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

このおさしづ、長いけれどぜひ読んでほしい…。

 

 

 

 

 

 

めっちゃ心に残って私みたいにくじけそうになった時に大きな支えを頂けるから、ぜひ読んでほしい…。

 

 

 

 

 

 

神様の後ろ盾を頂ける安心感を頂けるから、ぜひ読んでほしい…。

 

 

 

 

めっちゃ心に響くので、全文を載せておきます。

お忙しい方は、文字を大きくした部分だけお読みいただければ幸いです。

 刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)

さあよく/\聞き分けるなら、一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る処、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう処より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。

押して願

さあ/\洗い替えて速やか。日々の処からどういう理が出るとも分からん。さあさあ直ぐと/\話して、親族の理を以て放って置けんというは、どれから出たか。このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん。苦労艱難の道を通り来て理を聞くなら、一つの道も通そう。限り無き処まで尽そうというは、どういう理であるか。中山家の続くまで救けるというは、親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。残念の道も通りて来たわい。何でも彼でも足場が無くば付けられん。歪めてなりと、痛めてなりと、洗い替えて事情、これまで通りどんな事も聞き分け。一年で蒔いた種が、一年で生える。二年で蒔いた種が、二年で生えるのもある。又蒔いた種が生えんのもある。なれど一旦蒔いたる種は、どうでもこうでも生やさにゃならん。生えんという理は無い。どんな事も談示したとて、聞く者は無い。残念。相談する人も無し、掛かり掛けた道どうなろうと、残念々々の道も越して来た。涙をこぼして越した日もある。種を蒔いたから今日の日や。広い地所があっても種を蒔かねば草山や。草山は草山の値打ち。種があればこそ、修理がある。修理がしたならこそ今日の日や。これをよう聞き分けてくれ。

さあ/\尋ね掛け話。さあ/\朝はとうからどん/\風も構わず走り歩き、寒い時は寒い装束、暑い時は暑い装束、扇使いでは種になるか。これだけ話すれば皆分かる。前々にも話してある。三つの立て合いと言うたが、諭したが、向うに何と言うたぞ。

平野楢蔵「たんのうして居られます」と答えると

結構が分かるなら、神一条を尋ねる。神一条の道を通れば、たゞ一人の不足はあろうまい。たった一人の曇りがある。そこで口説き掛けたのや。これまで内々事情、神に尋ねた事はあろうまい。勝手に通りて来た。たった一つの道が濁ってある。どうも速やかならん。そこで口説き掛ける。さあ/\残念とも思わず、恥かしいとも思わず、神であって何の事情も通らず、今の一時の諭しを聞いて、芯から前々の理が分かり、嬉しいと思えば、一つさんげが出来ねばならん。成る時なら誰でもする。成らん処を通り、言うに言われん、越すに越されん、心にほんに鈍な事やなあと言うて、残念な道も通りたと言う。何もどうする事も要らん。なれどたった一人の心で動く事も出来ん、何処も見られん。独り竦んで居やにゃならん。これまでにも尋ねるなら、心受け取ってさしづする。さしづは違わん。よう聞いてくれ。違うさしづして、一日の日が照るか照らんか。一つの理を聞いてくれ。前々より一つの理も尋ねやせん。今日の日は残念であろう。けなるかろう。なれど勝手に知りつゝして来たのや。今日の日は気兼ね無い。親族といえどもどうもならん。これまでそれだけの道を通りて来たなら、何処の何某と、国々まで響く。今日一つの理を見よ。どうもならん。心打ち解け洗い替え。蒔いたる種は、神が皆受け取りて居る。受け取りた種は皆生える。(おさしづ 明治二十四年一月二十八日)

クー、しみるねぇ…。

 

種を蒔かなければ、どれだけ広い土地でも、ただの草山の値打ち。

種を蒔くからこそ、草木が生えてきて、生えてきた分だけやっと、切り倒したりカンナで削ったりして、やっと陽気ぐらしの神様の道具として使っていただくことができる。

そして、冬に冬の装束を着て、夏に夏の装束を着て扇をパタパタと使っているような通り方、

今風にいうと、冬には暖房、夏には冷房の効いた部屋にいるだけのような通り方で、これが種になるか?と親神様・教祖が問うてきます。

神様のたすかりに人を繋げてあげようとする際に起きてくる苦労艱難、これは目に見える結果としては辛くて大変なことだけれども、踏ん張って乗り越えていけば、親神様・教祖が、これこそを種まきとして受け取ってくれ、そして必ず生えてくる。

と伝えてくれています。

 

 

効率の良さでいえば、私のやっていることは最悪です。笑

約束は破られて、戸別訪問をしている時に土砂降りが来て、びしょ濡れになりながら歩いて退却しました。

でも、私がやっているのはビジネスではなく、信仰なんです。

一名一人のたすかりに向かって、誠心誠意尽くしていく。

その過程で出て来る悲しみ、苦しみ、辛さの中に、親神様・教祖の親心を悟って、喜びを見出していく。

この苦労こそが種まきとなり己の心を育て、親神様・教祖に受け取っていただけて、地道に続けていけば、親神様・教祖の道具としてたすけの場面で使って頂けるのではないでしょうか。

 

寒い時は寒い装束、暑い時は暑い装束、扇使いでは種になるか。

効率の良さを求め続けていったとしても、本当に困った方が目の前に現れた時、何を言って何をして差し上げられるんだろうか。

 

上手くいかない中、土砂降りになり目に見える結果が得られないような、そんな時があっても、心次第で決して無駄にはならない。

蒔いたる種は、神が皆受け取りて居る。受け取りた種は皆生える。

むしろ、人を神様のたすかりに繋げて差し上げるための苦労艱難があった方が、良い種まきになっていくんじゃなかろうか。

大変な中を乗り越えて、やっとおたすけの場面をいただけて、一生懸命尽くして、そして上手くいかなくて…。それでもなんとか踏ん張ってまた歩き出して。

これを繰り返して繰り返していくからこそ心が育ち、親神様・教祖のふしぎを見せてもらえる機会が頂けて、そしてたすかりのための筋道が少しずつ見えてきて、そして磨き続けるからこそ人をたすかりに繋げてあげられる道具衆になれるんじゃないかな。

 

 

大変な思いをされている方が、神様のたすかりに繋がり、しっかりとご守護が流れてきますように、そのお手伝いができる人間を目指して、種まきとして日々、歩いています。

 

 

 

さぁ、勇んで、種を蒔いていこうじゃないですか!!

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