呼吸困難な男性との出会い⑥~本当のたすかり

呼吸困難な男性と出会い、出来る限りのことを尽していましたが、緊急入院することになってしまいました。3日と仕切ってのお祈り「おつとめ」で奇跡的に復活していき退院の日取りが決まって安心したのもつかの間、電話での連絡が取れなくなりました。退院できるはずである日に彼から電話がかかってきましたが、電話の向こうで彼は「ゼーゼー……ハーハー……ゼーゼー……ハーハー……。」

と出会ったころのように、呼吸困難になっていたのでした…。

どうしていくべきなのでしょうか?

本日は続きを書いていきます。

今までの話は以下です⇓

 

退院することは決まったけれど

ぶり返した症状

退院するはずだった日、彼からの着信にでてみると

男性「ゼーゼー……ハーハー……ゼーゼー……ハーハー……。」

と治っていたはずの呼吸困難の症状がぶり返している様子でした。

 

あぁ、鮮やかに、症状が治っていたはずなのに…。

 

私は聞いてみました。

坂口「…どうなさったのですか?」

男性「ゼーゼー…それがさ……5日ほど前から急に息が苦しくなってしまってさ………ハーハー……。酸素飽和度が95まで治っていたのに、85まで落ちちゃったんだ…。退院の日が延びてしまったよ…ゼーゼー…。」

 

あぁ、なんと残念…。

電話口からもわかるくらい、体も心も元気になっていたというのに、退院の直前になって呼吸困難な状態に戻ってしまうとは…。

 

しかしこの時、私は楽観的に

「まぁ、いったんは酸素飽和度が95まで治ったのだから、またそこまで治るだろう…!」

と、安易に思っていたのです…。

 

後遺症

ところが症状がぶり返してから、彼の状態はいっこうに良くなりませんでした。

ついぞ酸素飽和度は85のままで、上がってはいきませんでした。

医師の方からも「これから良くなっていくかは、もうあなたの体次第です。」

と最大限やり尽くしたことを告げられて、呼吸困難の状態のまま退院することになったのです。

呼吸がうまくいかない後遺症をもったまま、酸素を供給するチューブにつながれて生活することになりました。

 

退院してきた直後の彼はとても大変そうな様子でした。

出会ったころより体重は20kgへり、筋力が著しく低下していたのでベットに横たわった状態から起き上がるのは実に難儀で、ベットから台所までの2,3mの距離を歩く際は息も絶え絶え…。

彼の部屋は2階にあるので、その階段を登るのも困難で、これからの彼の生活を思うと可哀そうな気持ちが湧いてきました。

 

一度、入院中に彼は奇跡的に復活したのです。しかし結果的にこの大変な状況…。

私たちは神様にいったい何を見せられたのでしょうか?

 

かける言葉を探して考えている時に、私坂口に彼はこう言ってくれたのでした。

本当のたすかり

彼が言ってくれたこと

男性「いやぁ、大変だ大変だ…フーフー…。

息が、できないんだもんね…ゼーゼー…。」

悪い状況になると、周囲に当たり散らしたり、人生を悲観するような発言をする方がいらっしゃるのです。

彼の心はどんな状態なのだろう?と思いながら話を聞き続けました。

 

男性「今まで僕はね、自分のことしか考えなかったんだ……ハーハー……。

…ゼーゼー…元奥さんにも娘にも、ひどいことばかりして、そして天涯孤独になっちゃった……。

…それでも良いと思っていたんだよ……フー…フー。

でもさ…病気になってみて身にしみて分かったよ………。

僕はたすけられて生きてきたんだね…ハー……ハー………。

ご飯を食べる事もできない、おしっこさえできない、息をすることもできない…。

たすけられて、命があって、やっと分かったよ…ハー……ハー……。

 

坂口くんが色々言ってるけど、信心というのも、大切だね………。

病気になって、やっと分かったよ………ゼー……ゼー………。」

 

 

自暴自棄になって色んなことを周りのせいにしてしまうのではなく、彼は、今までの自分の通り方を反省したり命があることのありがたさに目を向けている…。

目の前の状況は全く良くなかったとしても、この話を聞いて私は「この人はたすかる」と信じることができるようになりました。

ない人間ない世界を造ってくださってから一分一秒あますことなく子供可愛いいっぱいの親心をかけて下さる親神様の社となった教祖の、伝えてくれたことを思い出したからでした。

 

教祖の伝えてくれたこと

大和国倉橋村の山本与平さんの妻いささんは、明治十五年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきりご守護頂いたのでした。

しかし、そのあと手が少し震えて、なかなか良くならず、当人はこれを苦にしていました。

それで明治十七年の夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と願ったのでした。(親神様の社となった教祖は息をかけることでもふしぎな病のたすけを現していました。)

すると教祖はこう仰ったのでした。

教祖「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。

すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それ本当のたすかりやで。

人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。」

(稿本天理教教祖伝逸話篇 一四七 本当のたすかり)

人間というものは、目の前の悲しい事情や苦しい病が良くなっていく事ばかりを願っていますが、教祖が伝えてくれたのは、目の前の悲しみ苦しみがすっきり無くなってしまうことが本当のたすかりではないということだったのです。

悲しみの事情や苦しみの病を引き起こしてしまう根は、私たちが何回もの生まれかわりを通して魂に積んできてしまった悪い種であったり、最初は簡単に掃除できたはずの「我さえ良くばの心のほこり」が積もり積もって焦げ付いてしまった悪い癖・性分であったりします。

多少の悲しみや苦しみが残っているからこそ、魂に積んできた悪い種をさんげできたり心の悪い癖・性分を直していく油断のない歩みができていきます。教祖のひながたをたどって人をたすけていき、魂に積んだ悪い種を切り良い種まきをしていき、陽気ぐらしへ向かっていく心が定まっていきます。

こうして魂に積んできた悪い種に目を向けて、神様の望む人だすけに心を勇ませていくことができることが、本当のたすかりであることを教祖は伝えてくれたんですね。

 

もしすっきりと治っていたとしたら

一時、奇跡的な復活をとげたのに、呼吸困難な状態で生きていくことになってしまったのは、一見すると残念に思えてしまいますよね。

でも私はね、こう思うんですよ。

「あの時、呼吸がとても楽になるくらいの凄まじい復活が無かったら、彼は今、命が無かったかもしれない」ってね。

子供可愛いいっぱいの神様は、大難を小難に、小難を無難にしてくださっています。私たちが何も意識をしなくても心臓が動いて息ができて、命はずっと保たれております。これは神様がずっと守ってくださっているからなんですよね。命があるって当たり前じゃないんだから。

あの時、一時的だったとしても彼の呼吸が楽になるくらいのご守護があったおかげで、今、命がある。もしあの時回復していなかったら、そのまま呼吸が止まっていたかもしれない。神様が大難を小難にご守護してくださった。

そう悟っていくだけで、「一時的に回復したのに結局ダメ…。」みたいな残念なとらえ方が「一時的に回復したからこそ今、命がある…!」と前を向いて勇んで歩いていくことができます。

 

 

そんでね…。

男性の呼吸困難が、すっきりと治っていたとしたら、それに越したことはないでしょう。越したことはないですが、叶わなかった…。

しかし、すっきりと治っていたとしたら、彼は今までの通り方を反省したり、生かされていることの尊さやありがたさを心から感じることはできていたでしょうか?

きっとね、切実な状況になったからこそ、彼は今までの通り方に向き合ったり、生かされていることへの感謝を感じていくことができたんじゃないかな。

 

目の前に悲しいこと苦しいことがあるのは、残念に思えてきてしまいますよね。

でもね、実はこうした悲しみ苦しみがあるからこそ、魂に積んだ悪い種を切るためにさんげする気持ちができたり、神様が示してくれたように人をたすけていく心が定まっていったりして、実践していけば心が澄み切っていって、陽気ぐらしになっていくんですよね。

こうしたさんげや人だすけの心定めが無かったら、魂に積んできた悪い種が切れないままで、また同じ苦しみを引き起こしてしまう…。

 

そういう意味でね、今回の男性は「病のおかげでさんげできたり命があるありがたさが分かった」となっていたので、

本当のたすかりに向かっていけるはず…!と信じることができたんですね。

それから

彼が退院してからというもの、身の周りのお世話どりを致しました。

買い物にいったり、洗濯機が壊れていたので新しいものを注文したり、届いたら取り付けたり。

クレジットカードが必要にあったそうなので、ネットで申請する手伝いを致したり。

そして通う度に、病の平癒を神様にお願いする「おさづけ」を取りついでいきました。

 

そうしていくと…。

 

 

 

 

今回は長くなってきたので、続きはまた書いていきますね。

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